子育て
に限らず、
部下
を
育てる
など、人を
育てる
に共通していることについて書きたいと思います。
私は、宇都宮大学での留学生向け作文の授業も担当しています。予め作文はメールで送ってもらうのですが、中身は改善がもっともっと必要そうです。
「去年私はスピーチコンテストに出ました。緊張しましたが、最後まで言えました。プレゼントをもらったりみんなで写真を撮ったりして楽しかったです。(実際はもっと長いですし、ノンネイティブの書いたものなので、文法や語彙の誤りもありますがこんなイメージで)」といった感じ(^_^;)
部下
や学生、子どもの出してきたものが「うーーーん(^_^;)」と思うような質だった場合、能力の高低、書くセンスの有無や適性、やる気の有無が関係していそうですね。
その他にも、回避というストラテジーを使っている場合があります。「冒険して、間違えたり失敗したりするくらいなら、初めからしない」「大失敗のない範囲で、無難なことを書いておく」「上司・教師・親が満足しそうな“ある程度の“ラインで仕上げる」感じです。失敗が怖いとか、自信がないとか、完璧にしないと満足できない心理が働いているといえます。作文に限らず、子供の宿題や仕事上の企画書なども同じことが言えます。
ただ、私が接する留学生は、能力や知的好奇心も高く、やる気もある場合が多いです。が、提出してきたものが上のようなものだった場合、どんなふうに
育成
や
指導
をすればいいのかなあって、悩んでいました。自信がなくて「回避のストラテジー」を使うのだから、叱咤激励をしたり、アドラー心理学で言えば「勇気づけ」をしたりすればいいのでしょうか?それも必要だと思いますが、それだけで能力が高まるとは言いにくいと思います。
上司、親、先生、コーチなどが
育てる
育成
指導
をするというと、一般に「教える」ということがパッと思いつくかもしれません。作文の場合だと、「ここは、こう書き直して・・・」と教えることができますね。その場合、その通りに直してくれれば、再提出してくれた作文は、けっこういいものが出てきます♥だって、教師の私が直した通りに書いてくるのだから(笑)。
でも実はそれでは、能力が育たないんです。次回、違うトピックで作文を書いてきたときも、作文の質は高くなかったりします(^_^;)応用力がついていないんです。
前のものを応用すればもっと高いものができるはずなので、「この前も言ったよね?(`Д´)」「何度言ったら分かるの?(タメ息)」につながります。ただ「教える」というだけでは、応用は難しいんです。
じゃあ、もっと自分の頭で考えてもらって応用力を付けようということで「任せる」指導法を取ってみるとします。でも、「任せる」はともすれば「放置」になっちゃうこともあります。それでうまくいく場合ももちろんあるのですが、うまくいかなかった場合、本人はやる気を失うし、自信も失います。「何で教えてくれないの?」って上司、教師、親に不満を持つ人もいるかもしれません。
指導
する側も、「何でできないのよ?(;>_<;)」になっちゃいます。
育てる
育成
指導
なかなか難しいですよね。自分ができるからといって、うまく育成や指導ができるとは限りません。自転車に乗れるのと、自転車の乗り方をうまく教えるのは別ということです。
私は「何で教えても、上手にならないんだろう?」っていう疑問が15年の教員生活でありました。
部下
を
育てる
ときや子育てでもありませんか?「何で同じこと言わせるんだろう?」「何で言ってもできないんだろう?」
私の場合は、数年前から、同じ疑問を持つ共同研究者とともに「仲間と創る授業プロジェクト」というものを立ち上げて、その疑問に答えを見つけるべく、研究をしています。
長くなったので、次回に続きます。次回は、ある教育学の論文とアドラー心理学をもとに、
育てる
ための具体的な方法について書きたいと思います(#^.^#)
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